つれづれ

好きなもの、漫画とかサンホラとか。だらだら記述していきたいです。

Nein総合考察2 なんかもうヴァニスタ含めてミシェル関連

とりとめなく、色々なことを考察していければと。長々とすみません。

【バニシングツイン】
輪廻で登場する存在は、ノエルのバニシングツインではないかと言われています。
生まれてくる前に母体に取り込まれる…というようなことが、双子ではよく起こるそうです。そんなに珍しい現象ではないそう。

双生児 - Wikipedia

要するに生まれてこれなかった子供ということで、これがイヴェールではないか…という考察をよく見ます。とても素敵で切ない考察だ…
星というのはサンホラにおいては生命を表したりするので、それがヴァニシングするというタイトルからもヴァニシングツインが連想されます。

見た目も激似ですしね。これが本当ならイヴェール(仮)はノエルに聴覚を与えるために、障害を引き受けて自ら消えたことになります。ノエルはおそらくフランスと日本のハーフなので、基本的にフランス語のromanイヴェールと双子であるかどうかは考察の余地があると思いますが。

双子にはほかに、ミラーツインという特徴がすべて左右対称に育つことがあるそうです。イヴェールはオッドアイで、ノエルはオッドアイかどうかはわかりません。ジャケットで確認できる右目の色は茶色?っぽい色です。
歌詞中に髪の色が違う、瞳の色が違う…とありますので、左目はもしかしたら全く違う色なのかもしれません。無理矢理の解釈ですが、もしノエルとイヴェール(仮)に左右対称の特徴が見られるとしたら、涙焔でミシェルが連れてきた双子の人形の青・紫が違うことに説明が付けられそうだと思ったからです。
(ただ、romanもしくは涙焔で生まれてこなかったのがイヴェールだとしたら、1700年代にエコーなどを用いた検診が行われていたとは思えないので、どのようにイヴェールの存在が確認されるのか…という疑問が残ります。)

輪廻において、ヴァニシングツイン(仮)は否定を拒否しますが、それもノエルの双子だからではないかと推測出来ます。作中の登場人物は、基本的に否定されていることに気づいていません。気づいて断ることが出来るのなら、エリザベートやミーシャなんかは必ず断るはずです。
それは、双子であるノエルがR.E.V.Oをかけて世界を観測しているからではないかと考えられます。また、ヴァニシングツインは普通母体に吸収されるそうですが、極稀にもう一方の子どもに吸収されることがあるようです。(ここは信憑性が低いデス…情報募集)もしノエルの中にヴァニシングツインがいるとしたら、同一の存在になってしまったわけですから拒否を拒否することが出来るでしょう。


【mother】
ヴァニスタに収録された楽曲です。
ライブ限定曲でしたが、とても好きな曲ですので音源になったのはとても嬉しい…そして、改めてとても意味深な曲だなと。

この曲の主人公?である少年は、まず、君より一桁ばかり年長者なのだよ……と言っています。
そのままの意味で、0一つ多い年齢だとすると、普通に考えて1世紀の長きに渡り生きているということになります。(厳密にいうと、君というのが9歳以下だった場合はその限りではありませんが、9歳以下の子どもを蝶と表現するでしょうか…)
歌詞中には時の彼岸を彷徨う…とありますから、通常の生きている人間とは違う時の流れに生きていることはまず間違いありません。

また、この少年は明らかに檻の中の花におけるミシェルを模した行動をとっています。路地裏もしくは街角で、少年もしくは少女の変死体を紡いでいる…
歌詞中に出てくる古びた柱時計というのは、屋根裏の少女の中で零時を告げるものとして出てきます。となるとこの貴女はやはりミシェル…

ミシェルは檻の中の花では、生涯檻の中を抜けだせなかったと評されています。
檻の中の花で行ったミシェルの凶行は、おそらく檻を抜け出すために必要なものだったのでしょう。一方、motherにおける彼は、二度と戻れない【檻】の彼岸を彷徨う…とあります。つまり、檻の向こう側から檻を二度と戻れないと言っており、檻に戻るために凶行に及んでいると考えられます。檻を時空のようなもの、あるいは世間からの偏見など、いろいろに解釈することは出来ますが、こんな凶行に及ばなければ、及んでもなお行き来出来ない空間?であることは確かなようです。
そして、彼はどのような手段を用いてか檻から抜け出せた、あるいは生まれる前から檻の外側へ居た…と考えることも出来るかと。

【西洋骨董屋根裏堂】
しかし西洋骨董屋根裏堂における店主の便宜上ミシェルは、檻をすり抜けているようです。見た目がころころと変わり、現在以外のどこへでも存在しうる存在となっており、明らかに檻とやらの影響が薄い…
歌詞中では老婆の姿にも変貌することから、檻の中の花で老婆ミシェルの姿になっていると考えられますので、檻の中の花以降骨董堂を営んでいると考えられます。(もっとも、骨董堂がどのように出来たものかはわかりませんから、時空が関係ない以上なんとも言えないのですが…)
クリストフはミシェルを生涯檻の中を抜け出せなかったと言っていますし、Neinでも檻をすり抜けるという表現を使っていますから、おそらくミシェルの目標とした完全な状態ではないのかもしれません。見た目がコロコロ変わることから、存在が固定できていないとも言えるかもしれませんし。

【檻の中の箱庭】
一方檻の中の箱庭で、R.E.V.Oは閉ざされた箱庭を抜けだしてみよう…と言っています。タイトルから考えて、【檻】の中に箱庭があり、箱庭を抜けだしているわけですから檻を抜け出せたわけではありません。
R.E.V.Oは意識を接続し、それぞれ物語の主題となるものを否定しているのでしょう。しかし、箱庭を抜けだしても檻を抜けだしたわけではないので、意識を接続するだけで肉体的に直接接触出来るわけではない、と考えられます。

となると、檻というのが物質的、肉体的な制約を表すのであり、箱庭というのが精神的、概念的な制約であるという仮説をたてることが出来ます。
骨董堂におけるミシェルは、檻をすり抜けているので一部肉体の制約を逃れ涙焔においてはママンに接触したりもしています。が、基本的には時間と空間の間にとどまらなくてはならないのではないかと。涙焔においてはそもそも或る種の揺らぎが多い世界だそうですから、檻と箱庭の制約が緩んでいるのではないかと。
なぜromanの世界にゆるみが多いかというと、やはりミシェルとイヴェールの存在でしょう。イヴェールは基本的にママンの子どもだと私は思っていますが、ミシェルも妊娠の経験がないとは言えません。檻の中の遊戯の歌詞が、性行為ともとれなくはありませんので。その場合、生まれてくる前に死んだ子どもがミシェルにも居たかもしれず、それは一人のイヴェールと言えるでしょう。檻が無ければ、ミシェルはイヴェールに巡りあうことが出来るのかもしれません。