つれづれ

好きなもの、漫画とかサンホラとか。だらだら記述していきたいです。

ハロウィンと夜の物語3【復刻】

つづき

 

今まで、歌詞の情報をひたすら整理してきたので、疑問点をまとめてみたいと思います。
個人的には、3曲目のおやすみレニーがもっとも不気味で、疑問点も多いので、おやすみレニーを軸に疑問をまとめていきたいと思います。

1歌詞カードに書かれていない『それからはジョニーと2人、何を企んでいたの~』あたりの歌詞。
SHには確かに、語りや外国語部分が書かれていないことは多いですが、ここまで前後の繋がりがありはっきり歌っている部分が書かれていないことは極めて珍しいです。絶対に意図的にしていることです。
もしこれがケイトの見たくない真実だとしたら、ケイトは本当はレニーをハロウィンに参加させなかったのではないかとか。屋根裏とはSH的に不吉な場所ですから、レニーはそこで閉じ込められていたとか。
もしくは、レニーとジョニーが秘密にしていたから、お見通しだけども歌詞には書かなかった母の優しさとか。色々考えられます。

2ケイトは、この歌をだれに語りかけているのか?
最後の語りにもあるように、誰かに向けて語りかけているようではあります。しかしそのわりには、曲の途中殆どレニーに向けて歌っているようです。そのあたり、この曲の不気味さが感じられる部分なのかなと。

3歌詞カードの一番下にある、「真実は虚偽であり・・・」の詩の意味は?
もう、わけがわかりません。これからの地平線を示唆していることは何となく分かるのですが、これはケイトはじめ登場人物が自分の信じたい現実を信じているにすぎないと言っているのでしょうか。
星の綺麗な夜で、『第9の現実』など見たくない・・・という歌詞もあり、もしかしたら第8は第9と密接に関わってくるのか・・・?と思ったり。

4ジョニーの出生は?
ジョニーの母と目されるディアナは、夫である『男』を破落戸の野心家に殺されています。
野心家は、『ツキあいたい女、ハメるため』に男を殺しています。順当に考えればジョニーは『男』とディアナの子どもですが、もし野心家がディアナを本当にハメていたとしたら・・・?

と考えるのは、歌詞カードを透かしたときに、松葉杖をついた『男』と思しき人物を狼の少年が襲っているように見えるからです。狼はジョニーですが、ジョニーの父親がもし野心家だったら、このイラストも示唆的だなあと思います。また、ジョニーは、ジャケットイラストで狼をかぶっている少年だと思われます。昼バージョンの時、金髪ですね。ケイトの子どもであるレニーは、ケイトそっくりの赤毛なのに、なぜジョニーは・・・という考え。SHは割りと親子や兄弟の見た目がわかりやすいことが多いので、少々引っかかりました。のため、上のような考えに至った次第です。

その場合、『友達(ジョニー)』を恨まないと歌っていたケイトのことも少しわかりますね。
「兄を殺した男の子どもであり、さらにレニーが死ぬきっかけとなったハロウィンをレニーに教えた」のです。
『リバモア記念日だ~~~~~』と大興奮していましたが、その時は純粋に兄の子どもだと思ったのに、その後兄の子ではないことに気づいたから、その時はとても粋な演出だと思った・・・とか。
『リバモア記念日だ~~~~~』と言ったのは実際夫のショーンの方で、ショーンはケイトの兄と会ったことがないはずですので、ショーンは純粋に兄の子だと思い、ケイトは養子の違いから兄の子ではないとジョニーを見て気づいたとか。

その場合でも、可笑しくて可笑しくて泣きました・・・は違和感がある気がします。
ディアナとジョニーしか居ないということは、兄が死んでいるのは確定なわけで・・・まあ、3人異国の地で暮らすのに必死で、当初の「兄を探す」という目的をいつのまにか忘れかけていたのに、こんなところで兄の消息がわかるとは・・・という滑稽さという捉え方も出来ます。
ちなみに、ディアナが流産して養子をとったということはないと思います。
ジョニーもディアナも、声優の沢城みゆきさんが声をあてているからです。
父親はどうあれ、母親はディアナなのかなと。


5なぜ夫がリバモアという名前なのか?
もちろん、偶然リバモアだったから縁って不思議だわというように捉える事もできます。
しかしここで気になるのが星の綺麗な夜で出てきた『シェイマスだかウィリアムスだか・・・』という歌詞。
ここだけ不自然に人名がポンと出てきます。
これに関しては友人がこのような情報を教えてくれました。

シェイマス(seamus)=アイルランド語人名、英語圏ではJames
語源は聖人Jacobだが、Jacobの派生名はいろいろあって英語圏Jackもそのうちのひとつ
Jack-o'-lanternはWill-o'-wispという伝承をもとにしたもの(o'という記述もアイルランドのもの)
「シェイマスだかウィリアムだか」はこれ由来?
派生系のうちのひとつJamesは「取って代わるもの」という意味(由来は不明)
Williamは「勇敢な守護者」、Sean(ショーン)は「神の恩寵」
ショーンの語源Johannes(ヨハネ)は聖書では聖人ヨハネ

これでさらに気になるのは、ヨハネとヤコブが兄弟ということです。
ショーンはケイトの夫なので、必然的に生前の似非、『男』の名前はシェイマスということになります。
しかし、シェイマスとショーンが兄弟だとしたら、必然的にケイトとショーンも兄弟となりこれはさすがに不自然です。シェイマスがアメリカに渡ったのは、早くても10代後半から20代辺りだと思われます。(イラストから考えても、異国へ行くという選択から考えても)
その後両親に弟が出来たとしても、ケイトとショーンの年齢の印象から合いません。(ショーンの声は中村悠一さんが担当していますが、良い父親と言った感じで、特別かなり若い印象を受けません)

考えられるのは、『爺』の子どもではないかと。つまりケイトからみて叔父。
これだと年齢差の印象も合いますし、当時のアイルランドの状況を考えると、子どもを下働きに出したり離れて住んだりということは珍しくないと思われます。アイルランドでは、歴史が飢饉前と飢饉後に分けられるほど膨大な被害を受けました。日本人の考える飢饉とは比べ物にならないほどだと思います。実際にアイルランド語を話せる人が激減して英語が主流になったとか。

その場合、近親相姦のためレニーの体が弱いとも考えられます。
ケイトとショーンは『自分たちも含めて恨まない』と歌っており、その場合は2人が近い血縁にあったことを結婚後に知ったがその現実は見ないこととした、とも考えられます。
が推測の域を出ませんね。

さらにこの考えを採用したとして、ゴールドラッシュに行ったのはシェイマスではなくてショーンではないかとも思いました。
あのゴールドラッシュのくだりだけ浮いており、また先の記事で述べたように流れとして不自然な気がしたからです。実際全員集合!と言うような愉快なキャラはショーンのものでは?と思ったり。
ショーンケイトのリバモ一家は、『夫の仕事の都合で「山間の街」』に引っ越しています。その仕事がゴールドラッシュ関係のものだとしたら・・・?
この曲で2人の人生を歌っているからこそ、最後死にゆく時にシェイマスとウィリアムスがごちゃまぜになっている・・・と考えました。ただその場合ショーンも死んでなきゃおかしいのでは・・・と思いつつ。

なかなかに妄想ですが、これも1つの考えということで、ご容赦ください。

そして、ハロウィンの途中で死んでしまい、死んでもハロウィンを繰り返すレニーオランタンと、故郷から伝えられた陽気なハロウィンの最中、この行列についてゆけばディアナに会えるのだろうか・・・と思いながら死んでしまったシェイマスが出会うこととなります。

ハロウィンと夜の物語2【復刻】

過去記事まとめ続き。

 

続いて朝までハロウィンと、おやすみレニーの考察をしていきたいと思います。

まずは3曲目のおやすみレニーから。

『大飢饉耐えられたのは~』という歌詞から、星の綺麗な夜の男の援助していた妹のことだとわかります。『連鎖移民』という歌詞がありますが、これも実際にあったことです。1855年~1920年の間に、300万人ものアイルランド人がアメリカへわたっています。ジャガイモの疫病は1855年~1856年ごろにおさまったようですが、貧しい暮らしぶりは変わらず、アメリカへ渡った親戚の生活基盤が整ったのを見計らって親族一同で移り住んだようです。
この歌詞の書きぶりだと、兄からの援助が途切れたことを不審に思ってアメリカへ渡ったようなので、『男』の死後2~3年ほどのタイミングかなあと。
また、アメリカへ渡る船の中で、『母(ケイト)』のお腹に子ども(レニー)は居たようですね。船旅の途中で気づいたのか、お腹に子どもがいるのを知っていたのに旅を強行したのかは不明です。

さて、ケイトとその夫(ショーン)はアメリカに到着します。
最初に到着したのはサンフランシスコ。ここはゴールドラッシュによって栄えた街です。
ゴールドラッシュ(1848年~)後、1849年に人口が25000人を突破、50年には州の資格を得て、1852年にはウェルズ・ファーゴという金融機関が、64年にはカルフォルニア銀行が。またそのあたりの年で、今でも残っているような企業も創業しています。
『黄金によって栄えた都市』とあるからには、サンフランシスコがある程度の発展を迎えた時期だと思いますので、52年以降のことではないかと考えています。(60年ごろ?これは勘の域を出ません)

それからはしばらくサンフランシスコで生活しているようです。As time goes by~なので、少なくともレニーがジャケットのイラストから伺える年齢程度でしょう。おそらく4~5年?
その後『山間の街』へ移り住みます。そこで息子レニーにジョニーという友人が出来ます。
レニーはカボチャ頭というアダ名を付けられ拗ねていますが、友人が出来たことにショーン、ケイト夫妻は涙を流して喜んでいます。

ここでジャケットを見ると、明らかにカボチャ頭の男の子が!彼がレニーですね。
カボチャ頭は「水頭症」という、乳幼児から小さい子に見られる、頭蓋骨が肥大化する病気の暗示かもしれません。実際は原因不明だったり、先天性だったり後天性だったりと、いろいろな症状があるようで、少し調べても余りわかりませんでした。
心臓がびっくりするという表現もあり、レニーは体が相当弱いようです。

それから、ジョニーの苗字がレニーたちと同じリバモア(livermore)で、母と2人で暮らしていることがわかります。このことから、おそらく星の綺麗な夜の『男』とその恋人の間の子どもであると思われます。ただ、破落戸の野心家が恋人のディアナのことを前々から狙っていたという表現がありますので、実子かどうかは議論の余地がありますね。
しかし、恋人のディアナは少なくとも『男』の子どもとして育てているようです。(まさか破落戸の野心家までリバモアという苗字ということはないでしょう・・・)
それに気づいたケイトらは、神様の演出に喜び、『今日はリバモア記念日だ~~~』と絶叫していますね。おそらく、リバモア、母と2人で住んでいるという情報から、兄の忘れ形見だと気づいたのかなと。

ジョニーとレニーは屋根裏でハロウィンの準備をしていました。
初めてのハロウィン、そんなに楽しかったの?から、余命を告げられてあんなに楽しみにしてた~参加を許したわ、とあります。
これは、1度目のハロウィンでレニーが体調を崩し、余命1年と告げられた、ということなのでしょうか。(正直違和感は残りますが、他にしっくりくる考えが出てこないのでとりあえずこうしておきます)
そしてハロウィンの途中で死んでしまったようです。(最後のジョニーの家の直前のようですね)
それで、今でもまだハロウィンの続きをしているんじゃないかしら・・・という曲。

この曲は相当謎が多く、推理できるのはこのあたりまでかなあと。
わからないことが相当多く、ふんわりしていますね・・・。



とりあえず朝までハロウィンを考察していきます。
これは、実際にジョニーやレニーがハロウィンをしている様子ですね。
ここでは、ジャケットのどれがなんという名前なのかを推測することが出来ます。

また、『心臓バクバク、背筋はゾクゾク』という歌詞は、レニーの病状と捉える子が出来ます。
もちろん、お祭りが楽しみなことは前提ですが・・・。この部分、怖くて気づいた時に鳥肌が立ちました。

さて、次の記事で疑問点を並べていきたいと思います。長くてすいません・・・。

ハロウィンと夜の物語考察1【復刻】

過去別のブログでやっていたものの復刻版というか、読まなくていいです。自分用にまとめておきます。もったいないので。

 

 

1星の綺麗な夜 から。

『石工の爺が吹き込まれた~~』の部分。
ここはおそらくイギリスからアイルランドに渡ったと思われます。
このあとの歌詞『必死に育てたジャガ芋は腐り~』の部分は、アイルランドで起きたジャガイモ飢饉のことを指しています。当時まだ余り知られていなかった疫病により、当時ジャガイモを主食としていたアイルランドは大打撃を受けます。
ただ、その飢饉の始まる前から、アイルランドはイギリスの支配化にあり、貧しい暮らしを強いられていました。わざわざイギリスからアイルランドに渡って農民となったことをとち狂ったと表したのだと思います。

1815年~1845年の間に、約100万人がアイルランドからアメリカに移住したようです。
ちなみに、ジャガイモ飢饉が最もひどかったのは1845年~1849年ごろのよう。アイルランド自体はそれよりも前から暮らしぶりが厳しかったようなので移民は1815年から記録されているようですが、ジャガイモが泥にかわっていく様子を『爺の孫にあたる男』が見ているようなので、おそらく1845年ごろアメリカにわたったのではないでしょうか。

その後の歌詞、『棺桶船』
これは陛下の造語ではなく、実際に当時アメリカで言われていたようです。
アイルランド人はもともとの貧困で、荷物や家畜を運ぶような船に箱詰めになって長い船旅をしていたようです。その結果船の中で熱病が流行することが多々あり、船の中もしくは着いた直後に20%くらいの人が亡くなってしまっていたらしいです。その様子をみて、アメリカの港ではアイルランドからの船を『棺桶船』と呼んでいたとか。20%という数字は『5人いたらその中で一人は~』の部分に反映されています。

<明白なる天命>
これはマニフェスト・デスティニーとも読まれています。
白人による、アメリカ大陸の開拓・支配の正当化に使われた標語のようです。
その後、『見晴らしの良い丘』をブエナビスタと読み、テイラー将軍に続く場面もあることから、男が米墨戦争に従事していることが伺えます。
実際に、アメリカに来るのにほとんどの私財を使い果たしてしまったアイルランド人は、米墨戦争をはじめとしてアメリカ軍に所属することは多かったようです。
ちなみに、竜騎兵とは、火器で武装した騎馬兵のことです。もうしばらく時間が経つと、戦争に馬を用いることがなくなり竜騎兵は廃れますが、当時は豪の者の代名詞だったようです。現在の軍隊にも竜騎兵にあやかった勲章などがちらほらあるよう。

次に男は、同胞としての意識はどこにあるのだろう?という独白を行っています。
『聖パトリック大隊』とは、米墨戦争の際、アメリカ軍からメキシコ側に寝返った人たちのことです。もともとアイルランドカトリックが主流で、侵略の際メキシコ人にもカトリックが多かったことへの同情から、メキシコ側の味方をしたと言われています。
男は、『実利ある日々の糧(パン)』を選び、同じアイルランド人で同じ宗教を信じる聖パトリック大隊を撃ったとあります。実際には、宗教的な理由だけではなく、アメリカ軍のアイルランド人に対する対応の悪さなども寝返りの理由にあったようなので、最初少し戸惑いましたが、おそらくアメリカ軍のままでいたことは間違いないと思います。

その後、曲はゴールドラッシュへと続きます。
米墨戦争は1846年~1849年。ゴールドラッシュのきっかけとなる金鉱の発見は、1848年1月23日です。ゴールドラッシュの初期に参加した人々は49年に一斉にカルフォルニアに押しかけたとのことなので、『49年組』と呼ばれており、実際に曲中にも出てきます。

さて、『弱いもの~』はとりあえずあとに回すとして、『いつ死んだっていい~』を考えたいです。
『男』は、いつ死んだっていいと思いながらも、故郷に残してきた妹に仕送りを続けています。
またそんな中ディアナという恋人が出来、子どもも出来、少しの幸せに浸ることになりますが、破落戸の野心家に背後から刺されて死んでしまいます。

確定できる情報はこんなところだと思います。
では、飛ばした歌詞の部分を考えて行きたいと思います。
『弱いもの集まればより弱いものを叩く~【退役した男】は流浪の酒浸り・・・』
とあります。
しかし、この直前にゴールドラッシュの描写があり、時系列が不明です。

この時期、アメリカでは先住民から領地を奪うための戦争が頻発しており、(カイユース戦争、ローグリバー戦争など)数年ゴールドラッシュに参加したのち戦争に参加したとも考えられなくはありません。しかし、軍人が数年ゴールドラッシュに参加したりなどフットワークの軽いことが可能なのだろうかという疑問があります。当時アメリカ軍は開拓民を集めた有り様だったようで、法律も十分でなかったことは考えられますが。
または、ゴールドラッシュの最中、世界中から人が押し寄せており、無法地帯となり銃を用いた小競り合いが頻発していたそうです。それに膝を撃たれたのかとも考えましたが、『退役』といえば普通軍隊のことなのでちょっと不自然かなと。



長くなってしまいました。次の記事に続きます。

バニオンくんゆるキャラグランプリ出場

今更速報ですが、これかなりでかいことだと思うんですよね。

アチラとコチラの世界の行き来は、どのような制限がついているのでしょうか。(記憶があやふやで申し訳ないのですが、これって過去なんかで語られてましたっけ…)

 

Noelやバニオンくんは、過去のラインから「RevoP」の力を借りてコチラに来ていることは確定です。

手法についてはゆーても似非だから別に、我々コチラの世界の人間に分かるはずもないことだと思います。Nein発売前も、「ヴェガとアルタイルが~地平線の王~~」といったことが書かれていました。

 

問題は、アチラとコチラの世界への行き来に、リスクがあるのか、無いのか、という点です。

バニオンくんのゆるキャラグランプリ出場から考えて、リスクは限りなく低いと考えられます。正直ちょっとどうでもいいようなイベントに出るために世界を行き来してますからね。

無制限で、陛下が動ける時ならいつでも可能というのなら、それもなるほどと言ったレベルかもしれません。

(無関係な小話を挟みますと、CLAMP先生のツバサ・クロニクルという漫画は、異なる地平線と呼べる世界を旅する物語でしたが、普通の人は自力で世界の移動が出来るのは生涯に1度…というような設定でした)

 

また、陛下がどのような手段を用いて世界を行き来しているのかはわかりませんが、ミシェルも、別の手段を用いて世界を行き来していると考えることが出来ます。

ミシェルたちは、おそらく原曲ではいずれかの地平線に実在している人物ですが、死後(?)西洋骨董堂にいる存在は一般的な人間とは少し違った存在になっています。

ミシェルたちは、地平線のどこでもない場所にある骨董堂に存在し、そこを通してという形で地平線を移動しております。

一方、陛下の場合は、地平線から地平線へ一足飛びです。(陛下は一応コチラの世界に軸足を置いてる存在という仮定で。でなければ、よだかの星をノエルに勧めないでしょう。)

 

また、コチラの記事で

Nein総合考察2 なんかもうヴァニスタ含めてミシェル関連 - つれづれ

ミシェルは肉体の檻を抜け出し、R.E.V.O.は精神の箱庭を抜けだしているのではと考察しておりますが、地平線を移動する方法もその手法が当てはまるのではと思っております。

ミシェルは肉体の制限が薄れているので、おそらく自分以外の人間を別の地平へ移すことは出来ません。

しかし、もし陛下がR.E.V.O.を着用しているとしたら、精神の接続が自由に出来るはずですので、他の地平線の覗き見が割りと簡単なはずです。

 

これが何を言いたい記事かと申しますと、要するにバニオンくんがゆるキャラグランプリに出場するといううことは地平線の移動が行われているというわけです。

先ほど、地平線の移動はノーリスクではないかと断じてしまいましたが、考え方を変えてみてください。

地平線移動のリスクが高い場合、ノエルらをコチラに送り届けるついでに、バニオンくんにゆるキャラグランプリへの出場を勧めたという可能性もあるということです。バニオンくんの成績が最終的にどうなるかはミラのみぞ知ることですが、何らかの動きがそろそろ起こる可能性が非常に高い。

サンホライヤーはもうすぐ終わります。どれだけ嫌でも終わります。ですので、すこし、もう少し、考察を重ねたかったのです…。

第8の地平線 Rinneとは ※ほぼ妄想

基本的には、西洋には無い概念です。

仏教はヒンドゥー教の概念ですが、古代ギリシャでごく一部に輪廻の概念はあったそう。キリスト教においては、人間は他の動物から峻別されますから、基本的には異端な考え方です。

しかし、Reincarnation(リインカーネーション)という転生の考え方は見られますし、Neinにおいて輪廻の砂時計のパラレルである食物が連なる世界は、おそらく西洋の世界と見受けられます。

もちろん食物が西洋だからといって輪廻の砂時計が西洋だという根拠はありませんし、そもそも食物~は舞台がかなり現代に近い時代ですので、輪廻という概念そのものが知られていたのかもしれませんが、輪廻という単語のみで輪∞廻を東洋が舞台の楽曲であると断定することも不可能です。

 

さて、輪廻とは、日本においては毛色が違ってきますが、基本的には抜け出したいモノです。

日本というか、少なくとも私は来世に期待!的な考え方と思っていたのですが、元は生と死を繰り返す輪廻は苦しみでしかない…ということ。

サンホラから言えば、生と死を永遠に繰り返すという方で使われるのではないかと思っております…。何者かがあるいはその世界は、生と死を永遠に繰り返しているのか、もしくは何らかの事象が繰り返されているのか。そして、そこから解脱することは可能なのか。

 

こう書いてみると、黒の予言書感がすごいですね…!

自分でも意図したことではなかったのですが、さすがクロセカ厨。ただ、あれは一旦世界を抜けだしたはずです。一見輪廻から抜け出せたけれども、輪廻の象徴であるニカ様を壊すことは出来なかった…と私は思っています。

 

ちなみに、Neinにおいてはクロセカのニカ様やmoiraの詩女神までもが否定されています。

べぼちゃんは箱庭を抜け出すことが可能ですが檻を抜け出すことは出来ず、それゆえ意識に接続することで否定を行っております。なので、人の見た目を変えたりとか、肉体に関することは否定出来ないのではないでしょうか。

あくまでも精神、あるいは意識に介入するので、ニカ様や詩女神というのも、あくまでも信じる人の精神にやどるあくまで伝説のものであったのではないかと仮定できます。(信じる人にとっては本当というやつです。書の原典であるニカ様を、本を押収した警察組織?は知覚出来なかったかと思われるので)

詩女神が本当に肉体を持つ神だとしたら、騙ることが出来るとは思えませんので、あくまでもエレフやミーシャの精神のなかにあったmoiraの形を変えることで、Neinのようなことになっているのではないかと。

 

話を戻しますと、なぜ、第8の地平線で否定すべきこの楽曲が輪∞廻という名で、次の地平線もRinneという名前か…ということです。

この便宜上兄は、その聴覚から生み出されるリズムによっていずれ世界で愛されるはずの弟のために、聴覚に対する障害を引き受けて消滅します。以前にも触れましたが、この便宜上兄がイヴェールで弟がノエルではないだろうかという考察。

しかし、そのままの意味で捉えると2000年代に生まれたハーフのノエルくんとフランス革命の時代に生まれそうになっていたイヴェールでは時代があわないという気がしていました。

しかし、今回イヴェールはママンから、「いつかふさわしい時代に生まれておいで…」と言われておりますので、それが現代日本だったとしても何らおかしくはありません。細かい不幸は多々あれど、戦争や身分の違いがないというだけで判断としては十分でしょう。

しかし、バニシング・ツインとして母親に吸収される形で消えていってしまいます。

 

これを輪廻の一部とするのなら、転生に失敗しているわけですから、むしろ解脱しているのでは…と最初は思いました。しかし考え方を変えると、この便宜上兄は生まれようとして生まれることが出来ない輪廻を繰り返していると考えることも出来ます。一般的に考えられるものとは逆の輪廻ですが、永劫生まれることの出来ない輪廻に囚われている…と考えるとそれは地獄の苦しみではないでしょうか。

 

そうするとこの便宜上兄はこの苦しみから解脱出来る千載一遇のチャンスを自ら手放したことになります。それも弟の聴覚のために。この便宜上兄はなぜ未来に便宜上弟が聴覚が必要であると分かるか…それは、ありとあらゆる方法で生まれて来ることが出来ないという輪廻のさなかに居るからではないでしょうか。もしこの便宜上弟がノエルだった場合、母親は日本人かと思われますので輪廻という言葉が使われるのも納得がいきます。なんともドグラ・マグラを彷彿とさせる話になってきました。

その場合、motherとはまさしく檻の彼岸を彷徨う便宜上兄の楽曲なのでしょう。

 

以上妄想なので、実際にRinneが発売されたらまったく頓珍漢なことを言っている記事になる可能性が非常に高いですが、これもサンホラの楽しみ方の一つですね…!

Nein総合考察2 なんかもうヴァニスタ含めてミシェル関連

とりとめなく、色々なことを考察していければと。長々とすみません。

【バニシングツイン】
輪廻で登場する存在は、ノエルのバニシングツインではないかと言われています。
生まれてくる前に母体に取り込まれる…というようなことが、双子ではよく起こるそうです。そんなに珍しい現象ではないそう。

双生児 - Wikipedia

要するに生まれてこれなかった子供ということで、これがイヴェールではないか…という考察をよく見ます。とても素敵で切ない考察だ…
星というのはサンホラにおいては生命を表したりするので、それがヴァニシングするというタイトルからもヴァニシングツインが連想されます。

見た目も激似ですしね。これが本当ならイヴェール(仮)はノエルに聴覚を与えるために、障害を引き受けて自ら消えたことになります。ノエルはおそらくフランスと日本のハーフなので、基本的にフランス語のromanイヴェールと双子であるかどうかは考察の余地があると思いますが。

双子にはほかに、ミラーツインという特徴がすべて左右対称に育つことがあるそうです。イヴェールはオッドアイで、ノエルはオッドアイかどうかはわかりません。ジャケットで確認できる右目の色は茶色?っぽい色です。
歌詞中に髪の色が違う、瞳の色が違う…とありますので、左目はもしかしたら全く違う色なのかもしれません。無理矢理の解釈ですが、もしノエルとイヴェール(仮)に左右対称の特徴が見られるとしたら、涙焔でミシェルが連れてきた双子の人形の青・紫が違うことに説明が付けられそうだと思ったからです。
(ただ、romanもしくは涙焔で生まれてこなかったのがイヴェールだとしたら、1700年代にエコーなどを用いた検診が行われていたとは思えないので、どのようにイヴェールの存在が確認されるのか…という疑問が残ります。)

輪廻において、ヴァニシングツイン(仮)は否定を拒否しますが、それもノエルの双子だからではないかと推測出来ます。作中の登場人物は、基本的に否定されていることに気づいていません。気づいて断ることが出来るのなら、エリザベートやミーシャなんかは必ず断るはずです。
それは、双子であるノエルがR.E.V.Oをかけて世界を観測しているからではないかと考えられます。また、ヴァニシングツインは普通母体に吸収されるそうですが、極稀にもう一方の子どもに吸収されることがあるようです。(ここは信憑性が低いデス…情報募集)もしノエルの中にヴァニシングツインがいるとしたら、同一の存在になってしまったわけですから拒否を拒否することが出来るでしょう。


【mother】
ヴァニスタに収録された楽曲です。
ライブ限定曲でしたが、とても好きな曲ですので音源になったのはとても嬉しい…そして、改めてとても意味深な曲だなと。

この曲の主人公?である少年は、まず、君より一桁ばかり年長者なのだよ……と言っています。
そのままの意味で、0一つ多い年齢だとすると、普通に考えて1世紀の長きに渡り生きているということになります。(厳密にいうと、君というのが9歳以下だった場合はその限りではありませんが、9歳以下の子どもを蝶と表現するでしょうか…)
歌詞中には時の彼岸を彷徨う…とありますから、通常の生きている人間とは違う時の流れに生きていることはまず間違いありません。

また、この少年は明らかに檻の中の花におけるミシェルを模した行動をとっています。路地裏もしくは街角で、少年もしくは少女の変死体を紡いでいる…
歌詞中に出てくる古びた柱時計というのは、屋根裏の少女の中で零時を告げるものとして出てきます。となるとこの貴女はやはりミシェル…

ミシェルは檻の中の花では、生涯檻の中を抜けだせなかったと評されています。
檻の中の花で行ったミシェルの凶行は、おそらく檻を抜け出すために必要なものだったのでしょう。一方、motherにおける彼は、二度と戻れない【檻】の彼岸を彷徨う…とあります。つまり、檻の向こう側から檻を二度と戻れないと言っており、檻に戻るために凶行に及んでいると考えられます。檻を時空のようなもの、あるいは世間からの偏見など、いろいろに解釈することは出来ますが、こんな凶行に及ばなければ、及んでもなお行き来出来ない空間?であることは確かなようです。
そして、彼はどのような手段を用いてか檻から抜け出せた、あるいは生まれる前から檻の外側へ居た…と考えることも出来るかと。

【西洋骨董屋根裏堂】
しかし西洋骨董屋根裏堂における店主の便宜上ミシェルは、檻をすり抜けているようです。見た目がころころと変わり、現在以外のどこへでも存在しうる存在となっており、明らかに檻とやらの影響が薄い…
歌詞中では老婆の姿にも変貌することから、檻の中の花で老婆ミシェルの姿になっていると考えられますので、檻の中の花以降骨董堂を営んでいると考えられます。(もっとも、骨董堂がどのように出来たものかはわかりませんから、時空が関係ない以上なんとも言えないのですが…)
クリストフはミシェルを生涯檻の中を抜け出せなかったと言っていますし、Neinでも檻をすり抜けるという表現を使っていますから、おそらくミシェルの目標とした完全な状態ではないのかもしれません。見た目がコロコロ変わることから、存在が固定できていないとも言えるかもしれませんし。

【檻の中の箱庭】
一方檻の中の箱庭で、R.E.V.Oは閉ざされた箱庭を抜けだしてみよう…と言っています。タイトルから考えて、【檻】の中に箱庭があり、箱庭を抜けだしているわけですから檻を抜け出せたわけではありません。
R.E.V.Oは意識を接続し、それぞれ物語の主題となるものを否定しているのでしょう。しかし、箱庭を抜けだしても檻を抜けだしたわけではないので、意識を接続するだけで肉体的に直接接触出来るわけではない、と考えられます。

となると、檻というのが物質的、肉体的な制約を表すのであり、箱庭というのが精神的、概念的な制約であるという仮説をたてることが出来ます。
骨董堂におけるミシェルは、檻をすり抜けているので一部肉体の制約を逃れ涙焔においてはママンに接触したりもしています。が、基本的には時間と空間の間にとどまらなくてはならないのではないかと。涙焔においてはそもそも或る種の揺らぎが多い世界だそうですから、檻と箱庭の制約が緩んでいるのではないかと。
なぜromanの世界にゆるみが多いかというと、やはりミシェルとイヴェールの存在でしょう。イヴェールは基本的にママンの子どもだと私は思っていますが、ミシェルも妊娠の経験がないとは言えません。檻の中の遊戯の歌詞が、性行為ともとれなくはありませんので。その場合、生まれてくる前に死んだ子どもがミシェルにも居たかもしれず、それは一人のイヴェールと言えるでしょう。檻が無ければ、ミシェルはイヴェールに巡りあうことが出来るのかもしれません。

Nein総合考察 いろいろ

いよいよ、やりたかったところです…
まずはおさらいがてら。

Nein考察 名も無き女の詩・愛という名の咎・忘れな月夜 - つれづれ

Nein考察1 涙では消せない焔 - つれづれ

Nein考察2 涙焔つづき - つれづ

Nein考察3 言えなかった言の葉・アスピリン - つれづれ

Nein考察 食物が連なる世界・憎しみを花束に変えて - つれづれ

 

今までの記事です。
順番などばらばらでわかりづらくて申し訳ない。ここまでは、歌詞から読み取れる情報を我々の地平の情報と照らし合わせ、なるべく客観的に考察したものです。
ただ、ここからは多分に推測と願望が入ったものになっていきますのでご容赦ください。(ご指摘などありましたらお気軽に…)

シュレディンガーの猫
パラレルワールド理論ですね。
よく知られていますが、そのなかに更に大きく2つの考え方があります。

シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

こちらを読んでいただきたいのですが、

コペンハーゲン解釈」というものと
エヴェレットの多世界解釈」というものが存在します。

私のオツムで簡単にまとめますと、コペンハーゲン解釈に関しては観測した時に猫が生きている世界/死んでいる世界が収束するというもの。
エヴェレットの多世界解釈は、生きている猫を観測した観測者/死んでいる猫を観測した観測者に分岐するというもの。

細かい話が置いといて、確率解釈という単語が使われるのはコペンハーゲン解釈においてのようです。しかし、コペンハーゲン解釈においては事象を観測する特別な観測者の存在が必要不可欠です。今回の地平線で言えば、ミシェルは檻の中をすり抜けることが出来、時空に関係なく存在できる特別な存在と言えるでしょう。

しかしエヴェレットの多世界解釈において惹かれるのは、観測者が分岐するという点。今回分岐してるものありますよね…ミシェルだったり黒猫だったり。ミシェルが世界を常に観測しているから、そのたびミシェルの重なり合わせをノエルが知覚しているのでは…エヴェレット解釈は、SFなどで多用されている解釈でもあります。

連作幻想戯曲「檻の中の花」は、ノエルマールブランシュなる人物によって書かれたものとなっています。これを今まで私は呪われし宝石に出てくるノエル(妹)だと思っていましたが、ヴァニスタノエルの可能性も十分あるんですよね。
ノエルは男名ですし、3度めの舞台は1903年となっています。つまり死後1世紀うんぬん~とクリストフが言っていますが、死後1世紀経過して書かれたものだとすると2000年くらいの話になるわけで…

また、西洋骨董屋根裏堂を聞いたとき、屋根裏ロマンを思い出した方多いのではないのでしょうか。不毛の世界にある屋根裏ロマンでは、ミシェルがイヴェールに生まれておいでなさいと声をかけています。折り重なって死んだ13人の少年たちによってイヴェールが生まれたととれなくもない歌詞です。
ほんと恐ろしい…ノエルくんは13人めのお客さんです。死んでまう…
屋根裏ロマンの存在する不毛な地平に、西洋骨董屋根裏堂は存在しているのではないでしょうか。

この世界に時間軸みたいなものは関係ないので、例えばノエルが幻想戯曲を書いたのちにノエルを殺すことも可能です。(ノエルには死んでほしくないんですけど!!!)現に、骨董堂にはノエルがREVOを入手する前からNeinのCDが手前の引き出しに入っています。これはノエルのギターを取り返す対価に陛下が渡したものだと思っているのですがどうでしょう。

ヴァニスタのメモリアルイシューで、陛下はイヴェールがどこに生まれているか目を光らせている、それはミシェルみたいに…というようなことをおっしゃっています。つまりミシェルはイヴェールがどの地平に生まれるか目を光らせているのですね。ただ涙焔ではイヴェールを産まない選択をしたママンの前に現れ、それも賢明かもしれないと、そして青と紫が逆になった双子人形を渡しています。それがどういう意味を持つのか私はさっぱりわかりません。

 

【第9の現実】
今回のNeinは、パラレルワールドだとか二次創作だとか言われています、
しかし、ハロ夜の星が綺麗な夜においては、第9の現実と書いてほんとうの世界と読んでいます。ハロ夜は言えなかった言の葉との関連が指摘されていますから、もしかしたらREVOの観測によって発生したNein世界を正史とする世界なのかもしれません。

 

【歴史の改竄】
第一の書庫には、すでにある種の改竄が認められたそうです。
現に、アルヴァレスは聖戦の英雄と紹介され、アルヴァレスであったじまんぐは女王の側近みたいな役どころで登場します。あらまり嬢が出演出来なかったにしても、じまんぐの役どころを動かす必要は感じないので、改竄の結果人生の道筋が変化した人もいると考えられます。
名も無き女の詩の最後に入る、クロニカさまのめでたしめでたしも、過去の音源ではありません。つまり、改竄の結果クロニカ様の存在すら元のクロニカ様とは微妙に違うものとなってしまっているのではないでしょうか。

それでもめでたしめでたしなのは、つまりルキアたちは世界の終焉を迎えるような歴史を改竄することができた(かも?出来なかったかも?)しれないが、すべてを知るクロニカ様とそれを守ろうとする存在は消せなかった、要するにこれも運命のうちだったのではないか…などと邪推してしまいました。